Talk 12

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A man asked the Maharshi to say something to him. When asked what he wanted to know, he said that he knew nothing and wanted to hear something from the Maharshi.

M.: You know that you know nothing. Find out that knowledge. That is liberation (mukti).

ある男がマハルシに何かを言ってほしいと頼んだ。何を知りたいのかと尋ねられて、自分は何も知らないが、マハルシから何か言葉が欲しいと言った。

マハルシ:あなたは自分が何も知らないということを知っている。そのことに気付きなさい。それが真の自由である。

  • 「無知の知」というものである。これがすべての出発点であるように思われる。
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Talk 11

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Talk 11.

“Can destiny (karma) ever come to an end?”

M.: The karmas carry the seeds of their own destruction in themselves.

「カルマが終わるということはあるのですか?」

マハルシ:カルマには自らを破壊する因が備わっている。

 

Talk 10

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A visitor asked how to realise oneself in accordance with Maharshi’s instructions, contained in his text of Truth Revealed, verse 9, supplement. The difficulty was in controlling the mind.

M.: It is to be done by controlling the breath. If you practise it by yourself without other help, then the mind is controlled. Otherwise the mind comes under control spontaneously in the presence of a superior power. Such is the greatness of association with the wise (satsanga).

ある訪問者が尋ねた。『真実が明かされる』という本の補足にある、九番の詩の中にあるマハルシの指示に従って、自己を悟るにはどのようすにすればよいのかと。心を制御することが難しいと言うのだ。

マハルシ:呼吸を制御することによって、心を制御することができる。他の助けを借りないで、一人で練習すれば、心を制御することができるようになるだろう。別の方法でやるとすれば、自分より優れた力が存在しているところにいれば、心は自然と制御されるようになる。それが賢者とのつながりの素晴らしさでもある。

  • 呼吸の大事さは多くのところで語られている。呼吸と心の関係は密接である。
  • 最後の「賢者とのつながり」の部分は気をつけなければいけない。自らを賢者と自称する者に賢者はいないからである。現代の多くの宗教団体の教祖や霊能者等には気をつけなければいけない。偽物であるからだ。

 

Talk 9

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Talk 9.

Someone enquired: Why is it said in scriptures that the Sage is like a child?

M.: A child and a Sage (Jnani) are similar in a way. Incidents interest a child only so long as they last. It ceases to think of them after they have passed away. So then, it is apparent that they do not leave any impression on the child and it is not affected by them mentally. So it is with a Sage.

ある人が尋ねた。なぜ様々な聖典の中で、聖人は子供のようなものであると書かれているのですか?

マハルシ:子供と聖人はある意味で似ている。様々な出来事が子供の関心を引くが、それらが起こっているだけの間である。過ぎ去ってしまえば、子供はそれについて考えるのをやめる。そうした出来事が子供には何の印象も残していないのは明らかだ。精神的にも何の影響を受けていない。聖人もまたそうである。

  • 聖人とはどのような人物かについての、わかりやすい説明である。物や事に対して、何の執着心もない。ただ眺めているような感じであろうか。

Talk 8 (2)

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When pressed for an explanation, the Minister called to a page close by and ordered him to take hold of the King. The order was not obeyed. The order was often repeated, and still not obeyed. The King flew into a rage and ordered the same man to hold the Minister, and it was immediately done. The Minister laughed and said that the incident was the explanation required by the King. “How?” asked the King. The Minister replied, “The order was the same and the executor also, but the authority was different. When I ordered, the effect was nil, whereas, when you ordered, there was immediate effect. Similarly with mantras.”

 

説明しろと言われると、首相は近くにいた奉仕係に王様を捕まえるよう命令した。しかし、彼はその命令を拒絶した。何度も命令は繰り返されたが、従われなかった。王様は激怒し、同じ男に今度は首相を捕らえるよう命じた。すると、すぐに実行された。首相は笑って言った。これこそが王様が望んだところの説明であると。「どういうことだ?」と王様は尋ねた。首相は答えて言った。「命令は同じであり、それを実行する者も同じでした。しかし、権限が違ったのです。私が命じても、その影響はありませんでした。その一方で、あなたがが命じた時には、すぐにその効果が現れました。マントラについても同じことが言えるのです。」

  • 説明は明快である。同じ聖句であっても、「誰が」それを唱えるかによって、結果は異なるということである。

Talk 8 (1)

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“Can anyone get any benefit by repeating sacred syllables (mantras) picked up casually?

M.: “No. He must be competent and initiated in such mantras.” Maharshi illustrated this by the following story:

A King visited his Premier in his residence. There he was told that the Premier was engaged in repetition of sacred syllables (japa). The King waited for him and, on meeting him, asked what the japa was. The Premier said that it was the holiest of all, Gayatri. The King desired to be initiated by the Premier. But the Premier confessed his inability to initiate him. Therefore the King learned it from someone else, and meeting the Minister later he repeated the Gayatri and wanted to know if it was right. The Minister said that the mantra was correct, but it was not proper for him to say it.

「何気なく選んだ聖なるマントラを繰り返し唱えると、何かよいことがありますか?」

マハルシ:「いや、そうではない。そのようなマントラを唱えるには、それにふさわしい能力が必要であり、手ほどきを受けていなければ意味がない」。マハルシは、このことを次の物語によって説明した。

ある王様が、自宅にいる首相のところにやってきた。首相は今聖なるマントラを唱えているところであると言われ、彼は待つことになった。王様が彼を待っていると、首相がやってきた。会うなり、聖なるマントラとは何かと尋ねた。首相は、それは聖なるものの中でも最も聖なるGayatriであると言った。王様は、首相にその手ほどきを受けたいと要望した。が、首相は彼には手ほどきをすることはできそうもないと告白した。それで王様は他の人から学ぶことになった。そして、後に首相に会った時に、Gayatriを繰り返し唱え、正確であったかどうかを知りたがった。首相は、マントラは正確であったが、唱えるのは相応しくないと言った。

  • ここでは興味深い話がされる。聖なる言葉をいくら口にしようとも、そもそもそれを口にする「資格」がいる、というのだ。聖なる言葉とは、単なる呪文のようなものではないことがわかる。

Talk 7

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When asked if occult powers (siddhis) can be achieved along with Omnipotence (Iswaratva) as mentioned in the last verse of Dakshinamurti Ashtakam, Maharshi said: “Let Omnipotence (Iswaratva) be accomplished first and then the other question may be raised.”

「Dakshinamurti Ashtakamの最後の詩の中で語られているように、超常現象的な力というものは、無限の力を身につければ、自然と身につけることができるものなのでしょうか?」と尋ねられて、マハルシは言った。「まずはその無限の力を獲得しなさい。その後で、もう一方についての質問があるかもしれないが、それは後でよい」と。

  • 信奉者は往々にして、最も肝心な真の目的を忘れ、根掘り葉掘りと、付随的な疑念が心に浮かぶようである。マハルシは、二次的な重要性しかない事柄に関しては、質問にあえて答えないところがあるように思われる。

Talk 6

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A question was asked by a monk (sannyasi) about how to prevent the mind from being distracted.

M.: You see the objects on forgetting your own Self. If you keep hold of your Self, you will not see the objective world.

どのようにすれば心が乱されることがなくなるのか、という問いが、ある僧からなされた。

マハルシ:自我を忘れることができれば、すぐにでも対象を観ることができる。自我を手放さない限りは、あるがままに世界を観ることなどできないだろう。

  • your own Selfと英文にはあるが、これはselfという小文字の間違いではないだろうか?大文字のthe Selfでは「真我」という意味になるが、小文字の場合は単なる「自我」という意味になり、文意が大きく変わる。「あなた自身の」という部分からも、これは単なる「自我」を指していると思われる。
  • objectやobjectiveの訳し方が難しい。objectは「物・対象・目的・客観」という訳をもつ名詞であり、objectiveは「客観的な、外界の、目的の」という訳をもつ形容詞。ぴたっと当てはまる日本語がない。

 

Talk 5

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Mr. M. Frydman, an engineer, remarked on the subject of Grace, “A salt doll diving into the sea will not be protected by a waterproof coat”.

It was a very happy simile and was applauded as such.

Maharshi added, “The body is the waterproof coat”.

エンジニアのM・フリードマン氏は、神の恩寵のテーマで発言をした。「塩でできた人形が海に飛び込めば、たとえ水を弾く外套を着ていていも、海に溶け込んでしまう」と。

マハルシは「それはとても楽しい比喩である」と言い、拍手を受けた。

マハルシは付け加えて言った。「肉体こそが、その水を弾く外套なのだ」と。

  • 分かりづらい喩えであるが、肉体がある種の「悪いもの」「邪魔なもの」として描かれているる。その一方で、海を一種の「神の恩寵」と見立てるとすれば、その恩寵を享受することを邪魔している「肉体」でさえも、結局は逆らえないという神の偉大さを述べているようにも思われる。

Talk 4

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Maharshi was asked by an educated young man: “How do you say that the Heart is on the right, whereas the biologists have found it to be on the left?” The man asked for authority.

M.: Quite so. The physical organ is on the left; that is not denied. But the Heart of which I speak is non-physical and is only on the right side. It is my experience, no authority is required by me. Still you can find confirmation in a Malayalam Ayurvedic book and in Sita Upanishad;

and he produced the quotation (mantra) from the latter and repeated the text (sloka) from the former.

教養ある若者がマハルシに尋ねた。「どうして”心臓”は右にあると言うのですか?生物学者なら、皆心臓は左にあるということがわかっています」と。その若者は、発言の根拠を求めた。

マハルシ:まったくその通りだ。物理的な器官としての心臓は左にある。それは否定できない。が、私が言うところの”心臓”は、物理的なものではないのだ。それは右側にしかない。それは私の経験であるから、根拠はないとも言える。しかし、それでもなお、マラヤラム語の アーユルヴェーダの書とSita Upanishadの中に、その確証を見つけることはできる。

彼はSita Upanishadからマントラを引用し、アーユルヴェーダからの一節を繰り返した。

  • heartの訳語は「心臓」以外にも、「心」「中心部」などがある。若者は文字通りの「心臓」と捉え、マハルシは、人間の中心部分、核心部分として、この言葉を用いている。
  • 人間の右胸は神の宿る場であることが後に明らかにされる。